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いつからだろう。珈琲がそれほど嫌ではなくなったのは。胃には良くないとされるもので、香りは良いが、沢山は飲めない苦い飲み物。
傷みがただの良心では癒せそうになくなっている状態には、いったい何が効くのか。
にがみを受け入れることができるようになったことが成長であるのならば、それはその人自身が苦労したり傷ついてきたことの証明でもあるのだろうか。それとも単に視・嗅・触覚の鈍化・老化現象か、あてまた見栄、ときに思いやりだったりするのかな。
気持ちとは裏腹な態度が表にはあって、そんな表には裏があるという。いったいどう正常でいればいいのだろう。そしてそんな自分をコントロールしてあげなければならない自分はどうすればよかったのか、またどうしていけばよかったのだろう。ふと考えてしまう。
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