2018.09.23 09:459月23日おそらくその歳その歳に相応しいそして求められる振る舞いというのがあるのかもしれない自身で確認して生きていかないとそういう歳相応の振る舞いというのはみえてこないのかもしれないし気がつかないところで滲みでてしまっているようなものなのかもしれませんしらないうちに時は過ぎ気がつくと相応の装いを探している自身の存在に気づく歳を重ねてゆくだけでふと自分の体の一部が無くなる切なさ欠ける寂しさを痛感する瞬間があるようですtomoya's blogかきたい時に何か書こうと思います。フォロー2018.11.03 04:1611月3日2018.08.29 10:588月29日0コメント1000 / 1000投稿
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